26 『ビラ配り無罪』への考察「うつ」人の考察:『ビラ配り無罪』について考える。平成18年8月29日の朝刊の『社説』です。 昨日は精神的ダメージの真っ只中にいたため、「うつ」人は『書籍購読』について書いてお茶を濁したという観があります。 某名古屋大学教授への個人批判になるかな?と少し悩みますが、『本を出して若者を批判するような輩』を擁護することもあるまいと放って置くことにします。 本当に書きたかったのは『社説』にあった『ビラ配り無罪』という内容についてです。 先ず概略を述べます。 「政党ビラを配り、逮捕・起訴された男性に無罪の判決が出た。」 「いわゆる『左翼』や『反体制』の活動だけに眼を光らせては、警察の取り締まりに偏向があると言われてもやむを得ない」 こう始まる『社説』は、類似する2つの事件を例に出します。 「ビラ配布が有罪になった一例目は、昨年12月。自衛隊宿舎でビラを配った3人に東京高裁が『逆転有罪』を言い渡した。」 「二例目は今年6月で、共産党機関誌などを配った社会保険庁職員が、国家公務員法違反で『罰金10万円・執行猶予2年』という判決を受けた」 「いずれも『イラク派兵反対』や『憲法を守ろう』などという政治的な主張が書かれたビラが対象になったため、左翼や『反体制』を旗印にした団体を『狙い撃ち』にする印象を世間に与えた。」 そして最後に「ビラはお金や組織を持たない人にとって、自分の主張を世間に訴える大切な表現方法である。」とし「むしろ国民が言論・表現の自由を生かし、多様な主張を述べ合うことが民主主義の根っこを強くするはずだ。」と結ばれています。 「う~ん」と唸ってしまいました。 何かが、何処かがシックリとこないのです。 例に挙げられた2件の事例は同じことなのか? 先ず、ここに引っかかったようです。 『社説』は新聞社の主筆が書きますので、我々が知らない事も当然知っている筈です。 ですから『自衛隊宿舎でビラを配った3人』も『共産党機関誌などを配った社会保険庁職員』も多分、共産党員なので一纏めにしたのでしょうが・・・。 問題を「単に『共産党』=『左翼・反体制』と『当局』=『警察権力』とを対立軸にして、民主主義の根本である言論・表現の自由を死守すべきだ」との主張に終始しています。 次に引っかかった処がここでした。 先ず1点目から考えてみます。 私は、『自衛隊宿舎でビラを配った3人』が問題になった事件はハッキリと覚えています。 何故か? 「この人でなしが!」と義憤に駆られたからです。 私は、日本国憲法前文と第9条は死守すべきものであると考えています。 でも、『サダム・フセイン体制』は、将来には避けようのない『世界的な危機をもたらす可能性が非常に高い』と考えますので、米軍主体の多国籍軍による『イラク攻撃』には賛成の立場です。 ですから、自衛隊派兵については、非常に『微妙』です。 ただ、『好き好んでイラクに行きたがる自衛隊員がいる』とも思えませんし、『その家族の心労は如何なるもの』なのでしょう。 その自衛隊員や家族が住む宿舎に『イラク派兵反対』のビラを放り込んだのでしょ? 『言論・表現の自由』程度の問題ではありません。 『基本的人権の侵害』です。 『人として絶対にしてはいけない事』だと思います。 この3人は『極刑』にすべきです。 『共産党機関誌などを配った社会保険庁職員』については・・・。 捕まって当然でしょう。 本人も判ってやっていることでしょうし。 ワザワザ問題にすることもないと思いますが・・・。 この2つの事件は、『ビラを配られた者』にとって、比較にならない程大きな違いがあります。 主筆は、『同じ例として挙げること』に違和感はなかったのでしょうか? それに、この2つの事件について「左翼や『反体制』を旗印にした団体を『狙い撃ち』にする印象を世間に与えた」とはチットモ感じません。 『社説』を読んで、初めて「そういう『偏った考え方』もあるんだ」と感心した位です。 そして2点目です。 結論が「単に『共産党』=『左翼・反体制』と『当局』=『警察権力』とを対立軸にして、民主主義の根本である言論・表現の自由を死守すべきだ」という主張としか読めません。 マスコミが大好きな『言論・表現の自由』です。 彼らは、『基本的人権の侵害』よりも、『言論・表現の自由』の方が大切なようです。 『本当に守らなければならない』のは何なんでしょう? 『言論・表現の自由』なのでしょうか? 『イラク派兵反対』のビラを蒔かれた自衛隊員や家族ではないのでしょうか? マスコミは、『言論・表現の自由』を盾に報道の使命だとヌカシテ、『被害者の人権』なんてコレッポッチも考えていません。 それを自ら告白したような『社説』でした。 |